25周年
上映会の際には
入場者にパンフレットと
谷口監督のメッセージと
スタンプ帳が配られ
当時のスタンプが
用意されるという
素晴らしい企画だった。
博覧会の準備段階を映画に記録する作業は
候補業務の一環として進められたが会期中の
記録を公式記録映画として製作することは
1968年3月4日の第8回広報委員会で決まった。
協会は この方針に基づいて政策準備に
とりかかり広報委員会とは別に
公式記録映画委員会を設置した。
総合プロデューサーは
ニュース映画製作者連盟会長の田口助太郎氏
に決まった。
総監督は東京オリンピックの助監督を
務めた谷口千吉氏に決まった。
撮影は1970年3月14日の開会式からスタート
パビリオン内部の撮影は5月中旬から始まった。
しかし観客が帰って
からの撮影となり8月中旬までかかった
動員されたスタッフは常時100人以上
延べ1万8000人に達し
20台以上のカメラと60台のレンズを使用した。
撮影に使ったフイルムは10万メートルになり
ラッシュを見るだけでも
55時間になった。
まず五時間ラッシュが作られ
1971年1月21日3時間ラッシュが完成。
音楽を間宮芳生氏に依頼し
石坂浩二氏にナレーションを決定した。
公開は一般公開に先立ち
1971年3月15日東京と大阪で完成
披露試写会を開いた。
4月3日 短編映画
札幌オリンピック序曲と同時上映で全国
242の映画館で公開された。
また 8ミリ映画や16ミリ映画も作られ
関係者に配られたり
学校関係などに販売された。
川端康成氏や目玉男 ブルーインパルスなども
盛り込まれている
1995年には25周年記念として
万博ホールで上映会が開催された。
谷口監督からもメッセージが寄せられ
また大阪で万博をしましょうと
呼びかけられた。
30周年の2000年12月21日に
NHKの衛星放送で放映された。
この時 予告に本編にない映像が
使用されマニアをまどわせた。
現在ソフトは 販売されていない。
記念館でその一部を見ることができる。
文部省の特別選定映画にもなった。
製作費は3億9000万円。
左は初公開時のパンフレット
公開に先立ち松竹とダイニチ映配の業務を
行うため日本万国博覧会映画配給株式会社が
設立された。
46年11月現在で412万2634人の動員。
目標は一千五百万人だった。
興行収入6億6千万円を超えた。
ブラジルやハワイ 中華民国などでも公開された。
日本語のほかに英語 フランス語 スペイン語が
作られた。
公式記録映画 日本万国博覧会
間宮芳生の世界
PSCR5888
二日間にかけて
録音されたテープから
オープニング アメリカ館
最高入場者
の三曲を収録。
谷口監督のメッセージ
パンフレット
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